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※北海道の道路トンネル第1,2集より
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※北海道の道路トンネル第3集より
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※北海道の道路トンネル第4集より
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 道内の道路トンネルの竣工数は図Aに示すとおり、昭和26年北海道開発局の発足を境とし、それ以前と以後において著しい差が認められる。
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 このことは北海道の道路行政と密接に関係し、次のような推移を経てきている。

(1) 昭和初期〜昭和26年
 この頃は、失業救済や凶作救済のための道路事業が昭和5〜6年から始まり、7〜8年をピークとして直営によって実施された。
 この中で、昭和8年に札樽国道の改良が竣工し、朝里トンネル(昭和6年竣工現在廃坑)、張碓トンネル(昭和8年竣工)の完成により札幌〜小樽間の自動車通行が可能となった。
 また、自動車について見ると、乗用自動車に続いて荷物用自動車などが徐々に普及した頃である。
 次にトンネル技術面で見れば、トンネル建設のための機械化は失業救済と相反すると考えられ発達が阻害されていた。そのため、施工は人力によって行われ、支保は松丸太を梁や柱として使用し、これに松矢板を掛けた形をとっていた。
 代表的な掘削工法として、頂設導坑先進工法と底設導坑先進工法が挙げられる。

(2) 昭和27年〜昭和50年代
 昭和26年北海道開発局の発足以前において、「北海道」は開発事業の約80%を国費事業として施行していた。この、変則的執行を改善するため、直轄による体制を確立すべく北海道開発局が設置されたが、同時に「北海道」新生土木部の歩みも始まった。
 この頃から、道内において道路トンネルの建設が増加し、昭和30年代後半は総数66件の竣工という未曾有の記録を残した。また、トンネルの増加に伴い、米国式の鋼製支保工が採用されはじめ、高性能ドリル、ロッカーショベル、コンクリートプレーサーおよびテレスコピック型移動式セントル、チップラーなどの施工機械が導入され掘進速度に著しい向上が見られた。
 このように急速に機械化が進む中で、施工法や岩盤の挙動などについても研究が重ねられ、新しいトンネル技術へと発展するに至った。
 昭和50年前後は、鋼製支保工を用いた大断面機械化施工がトンネル工法の主流で、道内においても標準的な工法として盛んに採用されていた。

(3) 昭和60年代〜現在
 TBMやロードヘッダーなどによる機械掘削工法や吹付コンクリートおよびロックボルトによるNATMの出現によって、トンネル技術の様相に変化を呈してきた。
 つまり、岩盤力学および計測技術の進展、コンピューターの大型化と普及によって、地山の挙動把握が可能となり、解析手法も進んできたことによって、従来の剛な支保から柔な支保へと移行し、それに伴い使用機械や材料が変化してきた。
 このような技術の変換時期に合わせて、昭和60年11月に「北海道土木技術会道路トンネル研究委員会」が発足した。


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